台本をつくること

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なぜか「どうすれば演技がよくなるでしょう」と、きかれることがあります。
技術もそれなりで、練習もしているのに、なんだか「しっくりこない」というのです。

そんなもの、僕にもわかりません。
けれど、質問されたなりに、気のきいた助言でもしたくなります。

大体、パターンは似たもので。
「じゃあ台本をみせて」というと「そんなものはない」と返事がきます。

「じゃあ台本をつくったら」というと、
あいては苦い顔をして、話はそれきりになります。

けれど、台本なしに、すぐれたパフォーマンスのできるはずがありません。
すべては、いかにネタをつくりこむかなのです。

どれだけ即席にみえる、商品サービスも、街頭アンケートも、芸能人のトークも。
すべては、練りにねった研鑽のたまものです。

世になにかをおこすとすれば、それは渾身の、台本の力によってだとおもうのです。
そんな、僕の「台本主義」について、かいてみます。

 

つくりこんだネタこそが、最上である

 

「台本なしの、生の演技こそ、マジックのおもしろさなんだ」
「台本にしばられてはいけないんだ」という、反論もありました。

観客とのあいだに生まれる、ライブ感こそ、マジックであるということです。
もちろん賛成です。

けれど、そのライブ感というものは、
なんの用意もせず、おもいつくまま言葉をならべることでしょうか。

頭のなかの「なんとなくの手順」を、追うのに精一杯で、
手もとばかりみて、観客の名前も顔もおぼえずに、おわることでしょうか。

そんなものではないはずです。
たとえば、演劇も脚本はありますが、ライブ感をあじわうものでしょう。

台本とは、最低限の準備です。
舞台の上での、はなやかさをささえる、根のようなものです。

劇中のあらゆるものは、事前に用意されているべきです。
洒落たひとことも、身ぶりも、ネタのチョイスも……即興で考える必要はありません。

むしろ、つくりこみにつくりこんで、舞台で、一気にはなつべきです。
ひとを感動させるには、人間の、ためこんだエネルギーしかありません。

毎度状況のかわる、ホップでもストリートでもおなじことです。
台本をつくりこんだ上で、その場にあわせて、臨機応変にしていくのです。

はじめからアドリブにたよるのでなく。
台本をつくった上で、必要とあらば、アドリブも「使う」のです。
それも「どこまでが想定外か」を、あらかじめ想定しておくのです。

 

マジックに台本はいらないのか?

 

学校での発表も、政治家の演説も、結婚式のスピーチも、
なんだって準備したほうが、いいものができあがります。
あたりまえのことです。

もっというならば。
台本もなしに、舞台にあがる俳優がいますか。
ネタもつくらず即興にまかせて、漫才大会にでる芸人がいますか。

ジャンルがちがうのでなんともいえませんが、
ジャンルがちがえば「異常な状況」であるともいえるのです。

けれど、幸か不幸か、
マジックは「台本がなくてもなんとかなってしまう」のです。

マジックは「とりあえずウケる」からです。
台詞まわしのわるくとも、凝った構成のなくとも、マジックはウケるのです。

これがほかの分野であれば、空き缶がとんできて、予選敗退して、先生におこられて。
いつかは、事前に準備するのを、学んでいくところなのですが……。

逆にマジックは「ああ、これでいいんだ」という幻想を生みやすい。
これは、なかなかの罠であります。

 

舞台裏なんて、みじめな場所だ

 

ではなぜ、マジシャン(僕に質問してきた)は、台本をつくりたがらないのでしょう。
こちらの提案に、夏休みの宿題をつきつけられたような顔をするのでしょう。

台本をつくるのは、しんどくてめんどくさいからです。
いやなものはいやなのです。

文字を書いて、訂正、ファイリング、調整、考察……くりかえして。
想像するだけで、ウイスキー入りの、グラスをなげつけたくなります。

そんなことよりは、トランプをさわって、コインをけして、マジックの動画をみて。
マジシャンと交流して……なんだかたのしい、練習した気分になるほうがずっといい。

それらが不要だというのではありません。
それらを唯一にしてはいけない、という話です。

人間は、自分にとって、きもちいいことだけをしたいものです。
そして、自分にとって、いやなものは「不必要だ」とおもいたいのです。

めんどうなことをしてまで、台本なんてつくりたくないのです。
いまのままでも、拍手はもらえるから……やるべきだなんて考えたくもない。

おっしゃるとおりです。
いまのままでも、観客は「すごいすごい」といってくれます。
死ぬ日まで、その声のたえないことは保証します。

けれど僕は、それがむなしくなったのですね。
まだまだ、努力がたりてねえ、もっと演技はつくりこめるはずだと。

それは、自分が、きもちよくなるための練習では、けしてありません。
つらくて、バーボンのボトルをなげつけたくなるような作業のつみかさねです。
けれどそれでしか、たどりつけない境地のあることも、信じているのです。

極論、舞台で花をさかせるには、
舞台裏で、どれだけみじめなことをするかです。
いいパフォーマンスをするためには、いやなことをせねばならんのですね。

 

 


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