京都市美術館「マグリット展」

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先日「マグリット展」に、かけこみ入場してきました。
最終日ということで、なかなか混雑していました。
すでに終了しましたが、その備忘録を。

今回、初の試み(自分的に)として「音声案内イヤホン」をかりました。
そこでしかきけない情報もあり——たとえばブルトンとの確執など——興味ぶかかったです。
耳にかけるだけで、まわりの音をふせいでくれるのもうれしかったです。
いつも周囲の音に神経質になってしまう自分がいたので。
おもわぬ副産効果。

マグリットの作品は、デザイン的で——というかその元祖で——おもしろかったです。
こむずかしいことを考えず、直面できるので、とっつきやすい感じでした。
わけのわからん絵をみて、わけのわからん顔をするひともたくさんいました。
もちろん、そうした混乱こそ、マグリットのねらいどころなわけです。

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とはいえ、この「大家族」のように、我々のイメージする〝いかにも〟なものだけでありません。
むしろ、そこにたどり着くまでの、作風の変遷がよくわかりました。

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これは「絵画の中身」です。
マグリットにも、野獣派のように、色の挑戦に凝った時代もあったということで。
意外でした。

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これは「同族意識」です。
もはやシュール以外の何者でもありません。
絵の前でにやにやしました。

僕は普段、ひとりあるきした「シュール」という単語に敏感だったりします。
本当の意味からはなれているときがあるからです。
しかし、これは本当の意味で「シュール(シュルレアリスム的)」といえるでしょう。

むかしはこうした不可思議が、露骨に、見るものの脳に衝撃をあたえたのだとおもいます。
だからこそ、世界変革の手段にもなりえたのでしょう。
けれど、いまやだれもが、多少の不条理などみなれてしまい、
たんなるジョークとして認識できるようになってしまったのは悲哀であります。

そういえば、別日にいった父がおもしろいことをいってました。
「マグリットは〝関係性〟に敏感なひとだったんだろう。
非常に繊細で、他人や世界との距離感がつかめなくて、自分が存在するための、
ものさしをさがすように、言葉や物の、配置や関係性を模索しつづけたんだろう」

自分の立ち位置の〝わからなさ〟というのかもしれません。
少年期に、母の水死体(顔に布がまとわりついた)をみてしまったことにも、
関係するような話です。
個人と世界の〝関係性〟は、親とのつながりから発展するものだとおもうからです。

たしかに、そんなにタフな人間でなかった印象です。
しずかに生きかたを模索していただけで「芸術で社会に革命を」なんてタイプでなかった。
イケイケなブルトンとは、そもそも根本がちがった——表現に時代のシンクロがあっただけで。
どちらかというと、おびえた子供というイメージです。

さて、館内は時系列ごとに、五つのコーナーにわかれていました。
売れない習作時代から、彼らしい抵抗をみせた戦争時代、不意におとずれる模索期など。
その最後五番目は、円熟期——いわゆるマグリットマグリットしたマグリットの絵ばかりでした。

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たとえばこの、昼と夜の同居した「光の帝国」なんかも。
絵におちつきがあらわれて、モチーフも象徴的になっていきます。
あきらかに「ふっきれた」「さとった」「宗教性をおびた」のを感じました。
清潔な風のふきわたるような爽快感すらありました。

ひとりの人間が〝たどりついた〟という感覚です。
あるいは一生をかけて〝とりかえした〟ともいえるかもしれません。
芸術家は芸術をとおして己を治療する、とはよくいわれることです。
なんだか、ひとりの人間がすくわれる過程をみたようで、ちょっとうれしくなったのでした。