人前で緊張しないためにどうしよう?

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「練習は本番のように。本番は練習のように」
よみ人しらず

 

どうすれば人前で緊張せずにすみますか?

 

マジックをすると「どうすれば人前で緊張せずにすみますか?」と、質問されることがあります。
社会生活をしているかぎり、大なり小なり〝発表の場〟というものはあります。
そうした質問をする方々は、みなそろえたように、こまった顔をしていました。
だれにとっても、人前で「いかに緊張せずいられるか」は切実な問題なのでしょう。

かといって「絶対に緊張しない方法」を僕が伝授できるわけでありません。
そんなものがあれば僕がしりたいくらいです。
そんなことをいうと「ご冗談でしょう? あれほど見事にマジックをされてたのに」なんていわれます。
すると、こちらとしては「ああ、あの僕も、そうおもわれるくらいにはなったのだな」なんておもうのです。

緊張をなくす方法はわかりません。
けれど、たしかに、マジックをはじめて「緊張と上手につきあう方法」ならば達者になったなとおもうのです。
その場その場で、緊張をごまかしごまかし、なんとかやっていくわけです。
なにも偉そうなことはいえませんが、そのあたりのことをまとめてみます。

 

いつまでたっても緊張はなくならないことについて

 

おもえば僕も、マジックをするまえは、緊張しっぱなしの少年でした。
小学校の教室で、順番に発表するときの、あの、がくがくぶるぶる感はいまでもおもいだします。
まあ、伝記でないのではぶきますが、そこから人前にでる機会がふえたわけです。

はじめはもちろん、緊張しっぱなしでした。
しかし、なんやかやマジックをするのは楽しかったので、苦ではありませんでした。
緊張より、あれは興奮だったのかもしれません。

しかしいまからおもえば、それは「ひとりよがりな緊張」だったなとおもいます。
簡単にいえば、マジックに〝酔っている〟状況だったのです。
「上手くできるか」「失敗しないか」「カッコ悪くならないか」なんて。

悪くいえば、ひとり相撲。
観客を無視して、自分の世界で、勝手にもりあがって緊張していたわけです。
まあ、若造なんてそういうものです。

ではいまでは、そんな緊張はなくなったか?

多少はへったとおもいます。
あのころよりは、もちろん観客目線を考えるようになりましたから。
プロとして、まあ、常に気をひきしめている昨今です。

ではいまでは、緊張しなくなったか?

そんなことありません。
手前味噌ですが「プロの自覚」が生まれたころから、別の緊張が生まれました。
それは、望まれた結果をだせるかという、他者目線の「仕事人としての緊張」です。

きれいごとでもきたないごとでもなんでもなく、お金をもらうとはそういうことです。
それにみあったことをせねばならんのです。
イチローだって、ヒットを打つから、次の年も野球をしていられるのです。

なにがいいたいかというと。
立場がかわるごとに——成長しても——緊張はなくなりません。
質をかえて何度もおそいかかってきます。

むしろ、駒をすすめるごとに、より失敗できない機会ばかりふえるでしょう。
自分の仕事が期待されていくということで。
だからこそ「緊張のなくしかた」でなく「つきあいかた」を学ぶべきではないかと。

 

そもそも緊張はわるいもんじゃない

 

いつのころから「そもそも緊張ってそんなにわるいもんじゃない」と、考えるようになりました。
適切な緊張は、ちゃんとした結果を生むのです。

そうじゃありません?

緊張があるからこそ、我々は入念に準備をして、気合をいれてのぞめるのです。
緊張のないふぬけたままで、高得点はのぞめないでしょう。

緊張感のないイチローにヒットが打てそうですか?
緊張感のないスピーチに心うごかされますか?

そう考えると、すこし気が楽になります。
まず、緊張を、そんな邪険にしてやらないことです。

むしろ最近では、舞台前に緊張してるなとおもったら、
われながら「おお、緊張してる。オモロイなおい」なんて笑っています。

なくそうとするから意識してしまうのです。
だったら、うけいれてやりゃあいい。

ちなみに、細かくは書きませんが、この「体の抵抗をうけいれてやる」というのは、
心理療法としても、理にかなった発想なのであります。

それくらいでいいんじゃないでしょうか。
緊張は敵ではありません、あなたの味方なのですよ。

 

緊張してる姿をみせたほうがいいことも

 

これはすこし策略的なことになります。
どうみせるか、という作戦の話です。

プロとアマとでは「緊張をどうするか」という目的がかわることがあります。
そもそもアマチュアは——ある場合のプロでさえも——緊張をみせたほうがウケることがあるのです。

弱者を応援したくなるのは人情の常であります。
かわいげがうまれる、それが緊張をかくすより有効な技になる、ということです。

以前、アイドルのオーディションにでるという女性に「どうすれば緊張をなくせますか」と質問されました。
なんとなく話したあと「でも、緊張してる姿もファンはうけいれてくれるとおもうよ」といいました。

だからといって、ふにゃふにゃで挑め、というのでありません。
現場の空気と、加減の問題です。

プロはもちろん——ある種の緊張感をのぞけば——堂々としている必要があります。
けれど、質問してくる方々のなかには、そうでない立場のひともいました。

「そういう姿をみせてもいいんじゃないですか? むしろ好かれそうですよ」
なんて、考え方もあるという話でした。

あいさつの前に、顔をあかくして「緊張してます」と、白状したりなんかして。
そんなひとを嫌いになれます?

 

緊張するのはいい、緊張してると悟られるのがまずい

 

とはいえ、びしっとキメたいときは、キメたいものです。
弱者の兵法もいいですが、強者のふりをせねばならんときもあるのです。
そんなとき、僕がいつもおもいだす、奥義的な言葉があります。

緊張するのはいい、緊張してると悟られるのがまずい。

というものです。
僕はよく「どうして緊張しないんですか?」に「かくすのが上手くなっただけです」とこたえます。
本当だからです。

あなたが緊張することと、それをまわりにみせることは、まったくの別です。
極論、緊張してないようにみえたなら、緊張してないのとおなじことなのです。
そう装うことで、外側から、内心がおちついてくることすらあります。

シビアな場所では、この言葉で挑みます。
これも表だけをみせて、裏を意地でもかくしぬくという、マジシャンっぽい発想かもしれませんね。
緊張はひとり、控室ですればいいのです。

 

あと、とにかく息をはきましょう

 

これは大事です。
人間は、緊張すると、息をすってばかりになるらしく。
はくことがおろそかになりがちです。

それでは、おなかに空気がたまってしまいます。
なので、意識的に、鼻からゆっくり息をはくようにしましょう。
あごのあたりに、力をこめていたことに気づくはずです。

すいこむことなど気にしなくていいのです。
はけば、あとは体が、勝手にすいこんでくれますから。
息をはくこと、それに尽きます。

呼吸をととのえることで、精神を、体をととのえる。
呼吸をととのえるとは、ゆっくり息をはくこと。
まあ、そんな感じです。