登場して30秒で観客とうちとけるには(マジシャンのアイスブレイク論)

 

 

 

 

 

 

 

 

「一つ秘密を教えよう」とガードナーが言った。「ちょっとした演奏のこつだ。プロからプロへの秘密伝授というところだが、実際は単純なことだ。それはな、聴衆のことを何か知っておけ、ということだ。何でもいい。今日の客は昨夜の客とどう違うか——自分の心で納得できることなら何でもいい。たとえば、ミルウォーキーにいるとする。自分に問いかけるんだ。何が違う。ミルウォーキーの客と昨夜のマディソンの客の違いは何だ。何も思いつかない? だったら考えろ。思いつくまで考えろ。ミルウォーキー、ミルウォーキー……。ミルウォーキーはいい豚肉を産することで名高い。うん、これでいい。舞台にでたら、それを使え。客には何も言う必要はない。ただ、歌うときに、それを心にとどめておくことが重要なんだ。目の前にすわる客は、うまい豚肉を食っている人々だ。豚肉に関しては一家言ある……。わしの言うことがわかるかな。そう思うことで、聴衆への手触りが生まれる。面と向かって歌ってやれる誰かになる、それがわしの秘密だ。プロからプロへ、これを伝授しよう」
「夜想曲集」カズオ・イシグロ

 

アイスブレイクとは?

 

マジックは観客とのあいだに生まれるものです。
コミュニケーションが不可欠です。

マジックというものが「観客の脳のなかでおこる幻想」であることから、
それは当然といえるかもしれません。

では、いかに観客とコミュニケーションをとるべきか。
いつのころから、マジシャンとして、そんなことばかり考えるようになりました。

そのなかに、この〝アイスブレイク論〟があります。
マジシャンとして「いかに観客とうちとけるか?」という問題です。

そもそもアイスブレイクは「観客とうちとける」という意味です。
前からある用語で〝氷をこわす〟とはよくいったものです。

たしかに舞台にあがった瞬間の観客は「氷のようである」からです。
冷たく、硬い——演技者に対してかまえています。

それは、あたりまえの反応です。
こちらに文句をいう筋合いなどありません。

いきなり登場したマジシャンなんか、
他人で、実力の保証もなく、いわば〝ヤバいやつ〟かどうかすら未知なのですから。

基本的に、人前に立つとは、そんな状況からスタートするということです。
その氷をいかにとかしていくか、ということです。

それもできるだけ早く、上手に、効率的に。
観客と心を近づけたい。

極端な話、観客を味方にできれば、あとはなにをしても成功します。
だからこそ、そこに心を削りたいわけです。

これについて現在の考えを書いてみます。
現状報告です。

 

アイスブレイク論・前編

 

アイスブレイクは、マジックの世界以外でも使われる用語です。
しかし、マジシャンはよく、こんなふうに標語にします。

「観客の前にでたなら30秒以内に現象をおこせ」

もっともらしい意見です。
さっさと観客の心をわしずかみにしなさい、ということです。

自分も長らく、この考えを採用してきました。
いまでも間違っているとはおもいません。

カードマジックをするにも「一枚ひいてください……」と時間をかけるより、
まずは一、二枚のジョーカーを格好良くとりだすこともできます。

炎をだしたり、コインをだしたり、鳩をだしたり、薔薇をだしたり。
いくらでも考えられるでしょう。

よくある失敗例として、
マジシャンの挨拶や前口上が長すぎる、というものがあります。

観客はマジックをみたいのであって、マジシャンの来歴や名前などに興味はない。
「ゴタクはいいから、さっさとマジックをみせてくれ!」というわけですね。

それを防ぐにも、上の言葉は役にたちます。
マジシャンなんだから、30秒以内にマジックをしなさい、というわけです。

なかでも、自己紹介的で、ビジュアルで、ぱっと完結するならなおさらよしです。
いわば名刺がわり——いろんなマジシャンの絵が浮かぶことでしょう。

しかし、あるときジェイ・サンキーというマジシャンが、
「僕はカードをドリブル(片手から片手にはじき飛ばす)してみせるんだ」
といったのを知りました。

衝撃でした。
アイスブレイクに使うのがマジックでなかったからです。

たしかに考えてみれば、
観客をおどろかせる、関心させられるなら、現象でなくともいいわけです。

派手なシャッフル、テクニックやらを披露することもできます。
視野の広がった感覚でした。

 

アイスブレイク論・後編

 

しかし、あるとき気づきました。

よく考えると、お笑い芸人や、講演者、その他の舞台人なんかは、
マジックや指先のテクニックなしでアイスブレイクをしているじゃないか、と。

こう考えることもできます。
本当に「観客を不思議がらせる・おどろかせる」だけがアイスブレイクなのか、と。

ここにきて、ようやくアイスブレイクというものがわかった気がしました。
これは「観客の心をほぐす」「観客とうちとける」ことなのだと。

極端な話、初対面の人間とうちとけるのに、マジックは必要ありません。
いろんな場所でそうしてきたし、そもそも、ほかの人はみんなそうしているからです。

ときには、いきなりマジックをみせるのは不躾にもあたるでしょう。
ここらで、もう一度、マジックをはなれて、考える必要があるとおもいました。

マジックを使ってアイスブレイクをしてもいいですが、
マジックを使わなくてもアイスブレイクができる人間になる、必要を感じたのです。

その答えは、いわば当たり前のことでした。
マジックの威力で見失っていたことに、いまさら気づかされた心地でした。

そのためにどうすればいいのかを考えました。
マジックなしに、マジックショウのアイスブレイクをするには。

それは「あなたの時間を楽しいものにしますよ。なんであれ私の責任において」と、
心から観客にしめすことでした。

ジョークを口にしたり、表情や仕草であったり。
それこそ観客と目をあわせるだけで勝負がきまることもあるはずです。

もう少し具体的にいえば、
自分の場合は、観客に、親しみと笑いをこめた話をします。

一目で、周囲を虜にする人間がいるでしょう。
ようするにあれを演じるということです——ショウアップされた形で。

いまのところ、それを理想としています。
舞台に登場して30秒以内にマジックを演じてはいません。

それ以外の部分で観客とうちとけてから。
「ああ、わすれてましたね。僕はマジシャンだから——」と道具をとりだします。

これが現状のアイスブレイク論です——理想論ですけれど。
言葉にするとこうなるでしょうか。

「マジシャンは、必ずしも、アイスブレイクにマジックをする必要はない」
「しかし30秒以内に観客をひきつける必要はある」

 

さらにずるいアイスブレイク作戦

 

さらに、ずるいアイスブレイク作戦があります。
いつからから自然と行うようになっていました。

それは「あらかじめ観客とうちとけておく」というものです。
ショウのはじまるずっと前に。

状況がゆるせば——たとえばホームパーティなんかでは——可能なはずです。
まねかれてから、ショウのはじまるまでの時間を有効活用するのです。

参加者と日常会話をして、
好きなお酒の話、趣味の話、人間関係の話をすればいいのです。

「マジシャンとしての神秘性がさがる」という意見もあるでしょう。
しかしそれを失わずにうちとける——敬意を勝ちとる——こともできるはずです。

ポイントとしては「場の重要人物」の承認を得ることです。
どんな集いにも一人か二人は、イニシアチブをもった人間がいます。

ムードメーカーとも少しちがいます。
場の支配者に「あなたの領域を侵害する気はありませんよ」と伝えることです。

彼らの承認さえ得られたなら、
ショウのはじめからおわりまで、心強い味方でいてくれることでしょう。

そして数人といわず、半数、できれば全員と一度でも話をはずませたなら、
その後のショウがどれほどスムーズにはこぶものでしょう?

マジシャンがよく口にする、観客とのトラブル。
その悩みの、どれほどが影もなく解決するとおもいますか?

マジシャンはショウのあいだだけが仕事ではありません。
演技の時間まで、気のぬけたようにスカしていてはいけないのです。

あらゆるものを活用しましょう。
ショウの前後においても、細心の注意を払う必要があるとおもうのです。