リチャード・ターナーのレクチャー感想|伝説の〝盲目のイカサマ師〟は16時間練習をする

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、リチャード・ターナーのレクチャーにいってきました。
なにかと衝撃だったので、おもいつくまま文章にします。

 

伝説のギャンブラー、リチャード・ターナー

 

彼をひとことで紹介すると、
カードテーブルにおける伝説の〝イカサマ師〟です。

カジノに、大勝ちしたプレイヤーや、金持ちのドラ息子があらわれたときに、
肩をならして、フロアの奥から、召喚されるような裏の人間です。

ポーカーやブラックジャックにおいて、
指先の技術を使って、カードを操作して、必ず勝利をおさめます。

それも彼が生きているということは〝見破られたことがない〟ということです。
大金をつみあげて、だれもが目を血走らせるギャンブルの場だというのに。

いわば、カードが1ミリずれることがあれば、撃鉄の音がして、
その2秒後には脳天が血をふいて飛ぶような時代の生きのこりです。

六十代なかばにして、
いまなお〝世界最高の技術〟という言葉に嘘はないとおもいました。

さらにおどろくべきことに、彼は〝全盲〟です。
少年時代から徐々にみえなくなったとか。

それでも彼は、
観客のまぜたデックで、あっさりストレートフラッシュをつくります。

恥ずかしい話、僕も、ずっと昔に、
彼のDVDをみたはずなのに気づきませんでした。

空手の師範の教えである「弱点をみせるな」を徹底しているそうです。
ちなみに黒帯六段だそうです。

昔から、その訓練をして、
顔の動かしかた、姿勢など、目がみえる人間のようにふるまうのです。

こんな人生もあるのですね、カッコいい。
男のあこがれるものがあります。

まるで小説や映画のようですが、
実際にドキュメンタリー映画も公開されるそうです。

 

 

修業時代は16時間カードを配り続けた

 

「リチャード・ターナーのギャンブリング技術はすごいよ」と、いわれたものの。
あまりピンこないままレクチャーに参加しました。

はじめは解説というより、ちょっとしたデモンスレーションでした。
マジックキャッスルで演じる手順のようでした。

すなおに「すげえなあ」と思わされました。
技術が指先におさまっている。

イカサマ技術というと、セカンドディール、ボトムディールなんぞが有名です。
それがいつ行われたのか、まるでわかりませんでした。

ちょっとマジシャンむけに書くと「私はセカンドディールが好きなんだ、
DLなんて使わないよ」という具合です。

そこらの技術が上手いマジシャンなんて目じゃありません。
カードがパッと変化したり、空中にはじき飛ばすわけでもありません。

それでもすさまじいことがおきるのです。
なんというか、技術に〝重み〟を感じました。

彼の演技の特徴として〝マジカルジェスチャーがない〟のがあります。
指をならしたり、魔法っぽい動作をしないのですね。

観客からすると「いつ魔法がおきたか」わからないのです。
むしろ、マジック(魔法)であると表現したいわけでないのでしょう。

ゆえに静かにカードを配ったあとで、
ストレートフラッシュが完成しているというふうに渋く映ります。

水面下に、
圧倒的な技術が潜んでいると感じるのみです。

リチャード・ターナーにとって、
技術は〝みせびらかすもの〟でないのでしょう。

それも当たり前の話で、
ギャンブルの場では〝ひた隠すもの〟だからです。

そんなふうに、彼からは、
いたるところでマジシャンとギャンブラーの信念の違いを感じました。

一つに、ストイックさです。
命を賭けた世界なだけに事情はシビアです。

彼は「修業時代は日に16時間、
いまでも3~10時間は練習している」といいました。

それほど練習しているマジシャンなんてどこにおりましょう?
われながら耳の痛いおもいでした。

彼の現在は、運命や環境や才能なんかじゃありません。
努力です。

やったか、やってないかだけ。
シンプルです。

そう考えると、ほとんどの悩みなんてのは、
努力不足というだけなんだろうなと思いました。

 

磨きぬいた技術はすべてに勝る

 

彼の考えではほかに「小さな動きは、
より小さな動きのなかで達成される」というものがありました。

マジシャンはよく「大きな動きのなかに、
小さな動きをかくす」という発想をつかいます。

あえてぼかしますが、体をうごかしまくりながら、ポケットに手をいれたり、
カードをすり替えたりするわけですね。

大きな動きのなかに存在する、
小さな動きをみつけることは困難である、という人間の習性を利用します。

ターナー得意のセカンドディール(カードを配るときのイカサマ技)においても、
マジシャンは腕を大げさにふりながら、そうした、やましいディールをします。

あるとき、スライディーニに「お前も、
もっと腕を動かしながらやりなさい。ばれなくなるから」と、いわれたそうです。

同席していたバーノンは、すぐさま、
「こんなやつのいうことは気にするな」といったそうです。

彼はこの若き日のエピソードのあと、
バーノンに軍配のあがることをつげました。

話を半歩もどして、
ようするにターナーの信念はこうです。

「技術さえ完璧であれば、そんなごまかしはいらない。
ギャンブルの場ではあやしまれるだけだ。動く必要などない」

技術を極限まで最小にして、
極めきることで〝みえなくする〟というのです。

まったくマジシャンにはない発想です。
ダンディズムの極地です。

バレそうなところは、ちゃちゃっと冗談の一つか、
身ぶりやら、ミスディレクションとやらで、ごまかすマジシャンと比べて。

はなから、そんなものに頼っていません。
カードテーブルにおためごかしはありませんから。

「戦術で戦略を凌駕する」というのか、
技術という言葉の意味を考えさせられました。

プッシュオフDLについて「一応できるけど、ものごとに100%はないから、
現場では普通の方法でやってる」というマジシャンの声をきいたことがあります。

そのときは「さすがプロフェッショナル!」と思いました。
けれどターナーにいわせれば違います——鼻で笑われます。

それは、たんなる練習不足なのです。
彼の基準でいえば。

努力によって、100%にすればいいだけの話なのです。
事実、彼は命をかけてそうしてきました。

なんというか、彼と比べるたびに、マジシャンのマジックを、
甘ったれのままごとのように感じてしまいました。

 

最後に

 

もちろん、生死と大金をかけたギャンブラーと、
ちんけなマジシャンである己を比べる必要などありません。

けれど、なんやかんや、くやしいわけです。
おなじ道具を使っているのに。

ちょいと、いかに冗談を放つかなんかに心をむけていた、
昨今の自分に、鞭をうたねばなとおもわされました。

ターナーからは、ほかにもたくさんの昔話・裏話をききました。
ぽんぽんとビッグネームの名前がでてきます。

バーノンといまも秘密にしている技法のこと。
イカサマ技術を完璧にするために中指を切りおとした同業者のこと。

動画や携帯電話などなかった、
古きよき黄金時代の香りがしました。

その若かったはずのターナーが、
いまやトップとして、我々の前にいることに世代を感じました。

そして家にかえり、その時代と技術におもいをはせて、再度おもいだしました。
彼が〝盲目〟であることを。