なぜ〝好きすぎる〟とプロになれないのか?


 

最近わけあって、そこそこの人数の、マジシャン志望の方と顔をあわせる機会に恵まれました。みなさん20代前半といったところです。ちょいと濃い話ができました。

・はじめたきっかけ
・学んだ場所・教材
・マジシャンになりたいのか?
・マジック仲間の有無
・マジシャンという職業をどう考えているか?

第一の感想は「僕にもこんな時期があったんだなあ」というものです。わけもわからず10代後半にマジックバー・フレンチドロップの扉をたたいた日をなつかしく感じました。まあ、そんなノスタルジーはどうでもいいのですけれど。

全員、マジックが大好きなのはビシバシ感じました。もうカードを手にするだけでニヤニヤしてましたから。これ以上の物質は存在しないというくらいに。

それと同時に、迷いや試行錯誤していることもあるようでした。当然のことでしょう。僕が経験したものもあれば、現在は、そんな問題もあるのかと考えさせられたものもありました。

そのあれこれを文章にしたくなりました。シリーズ化したいところですが、まずは書けるままに書いてみようと思います。

さて、今回、お会いしたなかには「マジシャンになりたいんです!」という方もいました。

そこそこの人数だったと思います。みなさん情熱的でした。自分の胸に手をあてても「マジックしか考えられない!」という時期があったのはわかります。すっごいマジシャンになりたくてたまらないんですよね。

まさに、今回、強く感じたのは「みんなマジックが好きなんだなあ」ということでした。

それと、同時に、それでは難しいだろうなあと感じる自分もいました。本音です。それくらいには汚れちまった悲しみなわけでございます。

僕がマジシャンをしていて強く学んだことがあります。それは「マジック大好き人間にマジシャンは難しいだろうなあ」ということです。マジシャンに必要なのは、マジックでなく、むしろそれ以外の技術だからです。

例えばマジックバーにおいても、マジックの技術よりも、接客の方が大事でしょう。マジックのお店とはいえ飲食店です。上手にコインを消せることより、お客さんに気に入ってもらえる方が優先度は高いわけです。

そうした場合「マジックを心のなかでつきはなして考えられる能力」が求められます。マジックのことばかり考えていてはだめなのです――仕事として成立させるには。

仕事の場で、プロとしてなにが求められているかを考えると、案外「上手にマジックをやりきる」ことの優先度は低かったりします。

比喩的に言うと「両手にいっぱいにマジックを抱えているマジシャン」よりも「片手にマジックをのせているだけのマジシャン」の方が、ちゃんと仕事として、マジックを捉える余地があるわけです。それが生き残るのに重要なのです。

これが僕の気づいたことです。マジックさえ信じていれば、マジシャンとしてやっていける気がしていました。しかし世の中はそうではなかった。少なくとも、社会におけるマジシャンとしての地位は、マジックの上手さではありませんでした。

もちろん「マジック大好き!」な心も必要です。しかし、それだけではダメなのです。なぜなら、社会に与えた価値のぶんだけ報酬をもらうのが仕事だから。マジックのことばかり考えているうちは社会のことを考えられていない――価値を提供できてない――という理屈です。

こればかりは言葉にしてもどうにもならないのかもしれません。ある時期どっぷり、のめりこむ体験も必要なのかとも思うからです。そして、ようやく距離をとれるというわけです。愛すべきですが盲目ではいけないのですね。

あるいは、これも「アマチュア」と「プロ」の境目というだけなのかもしれません。だとすれば、アマチュア精神のままプロを名乗るのはきついですよ、というくらいの話でしょう。

ちょっと、いきなり飛ばしすぎたかもしれません。

これも、あくまで僕のやりかたは、というふうにお考えください――ひとりのマジシャンの本音ではあるので。むしろ疑うことを通して、自分なりのビジョンを考えるきっかけにしていただければと思います。