マジシャンになった経緯を語ってみようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近「何年くらいマジシャンをやってるんですか?」といわれて「十年くらいですかねえ」と答えた。そのあと「わお、もうそんなになるのかよ」と驚いた。せっかくなので、はじめて舞台に立ったときのことを書きたくなった。

いまから十年くらい前の話になる。

そもそも、僕にはマジックの世界に入るために、ひとつだけ大きなアドバンテージがあった。それは近所に〝フレンチドロップ〟があったことだ。いわずと知れた「マジシックショップ(奇術道具の専門店)+マジックバー」の老舗である。

いつも通販で商品を買っていたら「これ、近所じゃない?」と、その伝票をみて母はいった。

それがきっかけだった。自転車で十分くらい。この話をすると「ええなあ」と、マジシャンたちはいってくれる。それくらい有名な場所だった。絵画に目覚めた少年が、たまたまルーブル美術館の近くに住んでいた、くらいの感じだ。

寒い日は鼻水をたらして、暑い日は滝汗をかいて、ペダルをこいだ。

まったく苦ではなかった。その先になにかあるような気がしていたから。いまからすれば、たんに小売店でトランプやコインやDVDを買うだけのことだったけれど、とにかくマジックの世界に関われるならなんでもよかった。店員と会話できるだけで、すごく楽しかった。

ちなみにこの当時、ちょくちょく接客してくれた店員がいる。いつも、へらへらしながらコインを手にシュールな冗談をぶちこんでくる男だった。高校生の若造としては、その一つひとつについていくのでやっとだった。彼の価値を理解できなかった。後年、彼は「SICK」というコインマジックの作品集を発表することになる。そして世界中にセンセーションをまきおこす。かのポン太 the スミス氏である。

ある日、そこで月二回、マジック教室を開催しているのを知った。

講師はレニー・チャンという男だった。マジックバー・フレンチドロップ(二階がショップで、一階がバーだった)の看板マジシャンらしかった。翌週、ひたすらビビりながらトランプを手に教室に参加した。年齢層は高めだった。むしろ十代は自分だけで「先生の近くで学びなよ」と、みんな気前よく最前列をくれた。

開始時刻になると男があらわれた。一目で、舞台で生きるタイプの人種だと思った。彼は手にしてきたペットボトルの水を一口のんでいった。「どうも、レニー・チャンです」

それは芸名で、彼はバリバリの日本人だった。かくして幸か不幸か、はじめて目にしたマジシャンは彼になった。正直、それ以降、どんなマジシャンをみても驚異に感じたことはない(水沢克也さんは軽い例外だ)。彼が基準になるから。そしていつも心のなかで、自分自身も、どれだけ彼に近づけたかと考えては息をつくことになる。

それから長い期間、生徒として、トリックや技術を教わることになった。その授業内容はいまでも思いだせる。僕の財産だ。一度「息子の先生ってのはどんなものかしら」とマジックバーの営業に両親を連れていったこともある。赤い幕がおりたあと、父と母は、ぼうっとケチのつけようもないといった顔をしていた。あとになってわかったことだが、本物のマジックをみせられた観客はそうなるのだ。僕は誇らしかった。店をでるとき「どう? モチベーションあがった?」とレニー・チャンはいった。「はい」と僕はこたえた。

これも余談だけれど、ほどなく彼はカナダにわたった。世界的なコンベンションで賞を獲得することになる。そのときは本名だった。その名前は、アツシ・オノだ。これ以上の説明はいらないだろう。

さて、ある十二月の冬のこと。いつものように教室を終えると呼びとめられた。フレンチドロップのオーナー、庄野さんだった。「おう、ちょっと出演していけ」

いきなりだった。いまになってわかるのは、十二月はマジシャンの〝稼ぎどき〟であり、いつも出演するマジシャンも出払っていたということ。庄野さんだけでも来客にショウをすることはできる。とはいえ十代の小僧でもいないよりはいい、というわけだった。

はじめて足をふみいれた酒場には緊張した。いまにも夜の紳士淑女がささやきかわすような椅子とカウンター。棚にならんだ英字の酔わせるボトル。色あせた〝脱出王〟フーディーニのポスター。そして店の奥をみると、赤い幕のおりた小さな舞台があった。

やがて夜になると、くすくす笑いながら年輩の男女たちがやってきた。「やるのは五分くらいでいいぞ」といわれたまま演技をした。ゲロを吐くかと思った。しかし借りてきた子鹿のようにおびえていたからかもしれない。観客たちは暖かくむかえいれてくれた。

これが初舞台だった。そのあとカウンターにかけると、バーテンが、にやりと目の前にコーラ瓶をおいた。はじめてのギャラは、コーラ瓶一本だった。出番は終わったというのに、手のなかの、緑にすきとおったガラスに浮かんだ黒い水面は、尋常でないほどふるえていた。

すると、ふがいない少年の尻ぬぐいをしながら、力のぬけたベテランの演技をおえて庄野さんが横にすわった。まだ拍手は響いていた。「二は大変なんだ。どうしても三がいる」

「はい?」意味がわからなかった。

「お前は二のセンを狙ってるんだろ?」

「ああ、二枚目、そうかもしれません」

「二枚目じゃなあ、観客の野次をかわせないんだ」庄野さんはいった。「酒場では、なにをいわれるかわからんから、かわしようがない。ずっと邪魔してくるやつもいる。俺みたいに歳をとればなんでもいえるけど、とくに若いうちはな。観客をさばけない。だから三の要素がいる。観客のからみはごまかすしかないんだ」

僕はしばらく黙った。「僕には無理ですか?」

「二のセンはな、はじめはよくても、最後までやりきるのが難しいんだ」

僕はその言葉について考えた。この見栄坊としては、これからの人生で、この問題を、大いにひきずることになるだろうと予感があった。マジシャンとして、そして、これから生きようという若者として。まさか十年経ったいまでも考え続けることになるとは思わなかった。

初舞台の興奮のまま、いろんなことを想像した。さっきの演技についてや、これからの人生について。コーラ瓶に口をつけた。興奮をしずめるように、胸を手でおさえると、内ポケットにいれた紙箱の感触があった。一組のトランプだった。これさえあれば、どこにでもいけるような気がした。負けないさ、と僕は思った。