それがなにかはわからないけど聖性のあまり涙がこぼれてしまうことってあるのかも。

今をさかのぼること、革靴にして3足前、使いすてたトランプにして495組前、ビールにして1743リットル前、僕は大学生だった。

そのころ「宗教学」の講義をとっていた。われながら、めちゃくちゃ熱中していた。世界のあらゆる宗教哲学を、わかりやすく解説してくれて「え、こんな面白くていいの?」という謎のテンションでのめりこんでいた。

エレベーターで教授と乗りあわせたとき、沈黙ののち「えっと浅田君だよね?」と名前をおぼえられていたことにテンションがあがったりもした。

それは、どんな学部生も受けられる一般教養科目だった。ほかの生徒たちは「だれが真面目にきくものか(楽に単位をもらえる講座だったよな?)」と、だだっぴろい教室の後ろでスマホを触るか、キスをするか、居眠りするかしていた。

学期はじめに、ともに授業をとることにした友人(この時期、彼は、キャバクラ嬢として働いている恋人がチャラい知人に奪われかけているという事態に悶々としては、しょっちゅう校舎の中庭の看板を蹴っていた)も徐々に遅刻しはじめた。

それでも僕は、その授業がおもしろくてたまらなかった。

教室の右側の最前列で「イスラームという言葉にはすでに〝教〟の意味がふくまれているから、イスラム教という言葉はダブルミーニングになる。イスラームというべきなんだ」という教授のことばやらを阿呆のように書きつけていた。

ほとんどの生徒が教室の後ろでたむろするなか、僕のほかに、最前列で授業を受けている女学生がいた。僕が右前方だったの対し、彼女は中央の最前列だったから、それこそ最優秀生徒賞は彼女のものだったと思う。

授業が終わるごとにノートを手に教壇に近よって、教授に質問をした。彼女も同様だった。ただ彼女が質問しているあいだ、僕は参加せず、遠まきにながめているだけだったし、僕が先に質問しているときも彼女は同様だった。

授業が回を重ねるごとに、教室内の生徒たちは、ある種の波にさらされる浜辺の石や砂のように、僕たち二人だけが教室の前列、ほかのものたちは後方へと分離していった。

もちろん当時、そんなこと気にもとめなかった。授業がバツグンに面白かったから。ただ、ふと授業中、彼女の横顔が目に入ることがあった。小高い鼻をつんとすまして、その授業随一のまなざしで、黒板に見入っていた。そんなときは、彼女も、なにか宗教やら深遠なことについて想いをはせているのだろうかと思った。

そんなおり、仏教の〝空〟という思想について講義しているときだった。それ自体はどうでもいい。なにもないがある、みたいな世界観のことだ。

教授は「この世のものは相対性によって作り上げられているから——」と〝空〟について、わかったようなわからないような解説のあとで、ふと、なにか思いついたように黒板に書きつけた。なにかに書かされている、という雰囲気もあった。

「なにごとのおはしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」

そこになにがいるかはわからないけど、その神聖さのあまり涙がこぼれてしまったんだよ、という西行法師の歌だった。これが〝空〟や〝聖性〟の意味なのかもしれないね、というふうな感覚だった。

その800年前の詩人のことばに、僕は、なにかを感じた。

授業のあと、その歌について質問した。すると教授は「あれはね、講座の内容というわけじゃなかったんだ。解説してるうちに、ふと思いついて、ね」といった。僕はその返答をすごく気にいった。他人のなかに、美しい霊感のおりる瞬間を目にしたのだと思った。

それ以来、その歌を、何度も心のなかでつぶやくことになった。電車をでて駅のホームの階段をおりるときであったり、帰宅途中の夜道に自販機の光をみつけたときであったり、雨の日にコーヒーチェーン店の前で傘をとじたときであったり。

そして今日も、なつかしい風のように、この言葉を思いだした。次の瞬間には、この感覚をどうにか言葉にできないかなと思った。

その宗教学の授業は、どういう風の吹きまわしか、前年度に比べて、異例の落第率になった。あの教授は、単位が欲しいだけの生徒を追っ払って、もっと小さな教室で授業をしたかったのかもしれない。いつも教室の後ろにいた学生たちはおどろいただろう。

かくいう僕は最高のA評価をもらった。いつも左側にいた、例の彼女もそうだったと思う。あの授業のことを思いだすたびに、彼女は、いつも難しそうな顔で黒板をにらんでいる。