マジックに対する絶望を、芥川龍之介に救ってもらった話。

僕は、そこそこ人生の貴重なときをマジックにぶちこんだ人間だ。

それ自体はどうでもいい。一人暮らしの男子大学生が、ちょっと自炊に調子をこいてきたときにチャーハンにウェイパーをぶちこむようなものだ。だれしも、なにかに、なにかをぶちこんでいる。

もう十代のころから――なんと日々の過ぎゆくことよ――ずっとマジックは心の宗教というか〝信じるに足るもの〟だった。毎晩練習して、カード一枚当てていれば、コイン一枚消していれば、どこかにいけると信じていた。

だって魔法なんだから。魔法使いなんだから。この世界にカッコいい技能選手権があればマジックが余裕の一位だと思っていたし、この世界にカッコいい職業選手権があればマジシャンが余裕の一位だと思っていた。

だが、あるときから、マジックを信じられなくなった。

きっかけは、とあるテレビ番組だった。詳細は、雨の日の車のフロントガラスごしの景色のようにぼかすが(とはいえ番組内容の守秘義務契約書については密かにディレクターに催眠誘導をかけて、しれっと提出せずに終わったので、ありのまま暴露もできる)田舎のこまった老人たちに、若手マジシャンが、マジックをみせるという企画だった。

その撮影中にも、ほにゃららほにゃららいろいろあったが、ようするに「生きるのに必死な人の前ではマジックなんて魔法でもなんでもない」という事実をつきつけられた。明日のために畑を耕す老人に「マジックみませんか?」なんて正気の沙汰でない。困っている人にとっては、おにぎりやサンドイッチやウェイパーの方が何倍も重要なのだ。

その事実は、不愉快なできごととして頭のすみにのこった。そして、ずっと考え続けた。マジシャンは空中からお金をだすけれど、それで無限に寄付できるわけでないし、破ったカードを復活させるけれど、無くなった人を生きかえらせることはできない。

「なんや、魔法じゃないやん!」ということに衝撃をうけた。

それほどまでにマジックを信じていたのだ。

幼いころに親を万能だと信じていたのに、思春期のある日、もしかすると一人の弱い人間にすぎないのでは――と察したときの悲しみに似ているかもしれない。基本的にはあてこすりである。純粋すぎるだろうか。この僕にも純粋なときはあったのだ。

というふうに考えると(考えてしまうと)マジックが上っ面だけの詐術に思えてくる。魔法でなく、それに似せたしょうもないインチキにみえてくる。

正直、この時期はマジックを演じていても楽しくなかった。ただ指先をうごかして、お金をもらうだけの作業だった。僕の〝マジック〟とやらで目の前の観客がおどろいていることにも苛立ったり悲しくなったりした。

司会者のマイクを奪って「あなたたちが驚喜するほど、すばらしいことはなにもないんですよ!しょうもないインチキですよ!」と叫びたくもなった。なのに舞台で笑顔をはりつける自分が阿呆のように思えた。

僕は、もっと人生の真実を――なにかの美しさを――もとめていたはずだったのに。

そんなあるとき本屋にいった。ふと芥川龍之介の「侏儒の言葉」を手にとった。ぱらりとページをめくると、こんな一文をみつけた。心臓が鳴った。

「わたしは不幸にも知っている。時には嘘による外は語られぬ真実もあることを。」

もし文学がなんらかの救済を目的とするのなら、このときの僕はまちがいなく救われた。その言葉は心のだれにも触れられなかったところに染みた。

ああ、まだマジシャンでいられるなと思った。

マジックは嘘の技術にすぎない。しかし、その嘘をもって真実を語ることはできるのだと。むしろ、それでしか語られぬこともあるのだと。その逆説がとほうもなくうれしかった。いまも僕のマジシャンとしての根本理念はこれになっている。

この言葉は、いまでも僕のだいじなだいじなものだ。胸のなかで、抱きしめると壊れてしまうクリスタル細工の薔薇のように丁重にあつかってきた。宝物すぎて誰にも教えたくなかったくらいだ。

元来、僕は、ほんとうに大事なものはシェアせずに、自分だけのものにしたくなるセコい人種である。でも、僕は、この言葉に十分救われてきたし、そろそろ、こいつも、ほかの誰かの役に立ってくれてもいいのかなと思う。