その夜、ポーカーを降りるように彼女は死んだ。

夜は若く、僕も若かったが、夜の空気は甘いのに、僕の気分は苦かった。

今回の文章は、はじめに忠告しておくと後味のいい話でないから気をつけてほしい。あなたには引きかえす選択肢もある。それでも書きたくなったのだけれど。

学生時代、僕は、ある京都のカジノバーに入りびたっていた。腹をすかせた猫の前にまたたびを投げこんだくらいポーカーに狂っていたのだ。

もちろん現金をかけるのは禁止だ。その店の飲食代になるチップを賭けて、毎晩のように遊んでいた。

それもいろんなツキのめぐったあげく、一生なくなりそうにない額がたまったので、いつ顔をだしても飲み食い放題というデタラメな状況だった。いろんな高級酒を味あわせてもらった。まったくもって店の不良債権だったと思う。

ポーカーというと、一晩中テーブルに配られるカードをめぐって、まわりの人間と話をすることになる。普段会えないような人種と。そこで千夜一夜物語のようにいろんな話をきいた。

そこで仲良くなった人物がいた。四つ上ほど――その店では比較的、歳の近いほうだった。あるとき「最近引越してきました。ポーカーが好きなんだ」と顔をだして、それ以降くだらない話をする仲になった。

料理人の修行中らしかった。彼の目下課題は、知らない土地で、知り合いをつくることのようだった。実際、僕も、明け方にラーメン屋に共にいくこともあれば、遠方のポーカー大会に連れられることもあった。

あるとき店にいくと、彼のとなりに女が座っていた。やや太めで、首もとのゆるい服装だった。じっとゲームに参加もせず携帯電話を触っていた。

「ああ、あいつ?」後日、彼はいった。のんきな男だった。「たぶん付きあってると思う。なんかクラブで声をかけたんだよ。風俗嬢なんだぜ?」

僕はとくに追求しなかった。あるいは毒にも薬にもならないことをいった。いくら若造でも、世のなかには、いろんな人生や生活があることくらいわかっていたから。

彼女とは、ときおり店で顔をあわせるようになった。

彼女はテーブルの会話には加わらなかった。彼もゲームのあいだは彼女の存在がないかのように冗談をいって、チップを賭けて、カードに一喜一憂した。

その間、彼女は、ずっと携帯電話をさわっていた。おとなしい小鳥のように、早朝になり、ポーカーテーブルが閉じられ、となりの恋人らしき男が残念そうにゲームを終えるのを待っていた。

半年ほどした夏の夜。彼は配られるカードをのぞきながらいった。

「ああ、あいつ自殺したんだよ」彼はカードを場に捨てた。勝負にならない札だったらしい。「いきなり、いまから死ぬからって電話があったんだよ」

「それで、どうしたんですか?」

「え?」

「かけつけたとか」

「いや」彼は手もとのチップにふれた。はやく次のカードを配ってほしそうだった。「だって遠かったから。救急車に電話したし――できることはないだろ?」

その話題はそこまでだった。僕に続きをたずねる勇気がなかったといった方が正しいかも知れない。その後も一晩中カードは配り続けられた。彼にとっては、カードのマークがそろっているかどうかの方が重要らしかった。

それから何年も経った。先月京都を歩いて、そのカジノバーが潰れているのを知った。大いなる不良債権である僕のチップ残高も消し飛んだわけだが、もの悲しいのはそのせいではなさそうだった。

そして、なぜか彼女のことを思いだした。

次の瞬間、僕は、そこに人生のなにがしかを感じた。生まれることもなく人知れず消えゆく胎児のようなものを。いまになって、ふと、それは誰にも理解されることのない「絶対の孤独」だったのかなと思う。