マジシャンの大会をみて「賞金を出せばいいのに」と思った。


先日、マジシャンの大会にいってきました。

地方大会みたいな感じです。もちろん出場したのではありません。というより、僕は、過去に、その先の全国大会にて審査員特別賞(三位)をもらったので勝ち逃げを決めこんでいるのです。僕自身、忘れそうなのでここに書いておきます。

さて、僕がやってるマジックバーの後輩が出場するので、のこのこ見物にいきました。

出場者は15名ほどでした。

マジシャンの大会ってすごいですよね。5分〜10分の制限時間で、観客と、審査員(プロマジシャン)の前で披露するわけです。採点表にのっとって点数をつけられます。

もちろん一人一人の批評をするつもりはありません。荒削りな部分も多かったですが、まあ、それが大会の趣旨(とにかくチャレンジをする場所)だから、そういうものかなという感じでした。

ちなみに一人、個人のキャラクターで、めっちゃウケていたマジシャンがいました。

狩野英孝みたいな感じで。彼の「意図せざるウケ」の評価はどうなるのだろうと気になりましたが、ある審査員が「再現性がないから」と減点していたのが興味ぶかかったです。なるほど、と。

どんな分野でもそうですが「コンテスト」というやつは曲者です。

いつもの観客にウケるものをみせても高評価になりません。チャレンジしていないから。あくまで「新しい風」を目の肥えた審査員に感じさせる必要があります。みせかけだろうが、なんだろうが。

この「新しさ」も一筋縄ではいきません。

ソフトでなくハードの新しさが必要です。いままでの延長線上でなく、土台から、新しいものを期待されているのです。いまさらプレステ4の新しいゲームを作るのでなく、東京ゲームショウに出展するような「なにがおこるんだ…?」とマジで新しいものを作るのが理想です。

明日のスタンダードを担う(かもしれない)ものを実験、発表する場所、という感じです。

──と、これは一般論ですが、今回のコンテストに限っていえば、個人的には「時間をかけたものが入賞する」状況だったのかなと感じました。

台詞をおぼえきっていない、一度でも知人にみせていたらツッコまれていたであろう箇所があった、致命的なところで種がみえている、論理的に台詞のつじつまがあっていない、みたいな感じです。けっこう目立ちました。

もちろん、後のフィードバックで(これも楽しかったです)その一つ一つを鷹の目をもった審査員たちが砲撃していました。十字砲火。さすがの感でした。

これらは細かくいえば「技術や構成に難あり」ということなのかもしれません。

しかし個人的には、みんな「時間をかけていない(やるべき努力をしていない)」だけなのかなと感じました。もっと引きで、抽象的にとりあつかうべき問題なのかなという印象です。

これがM1グランプリであれば──違うわけですけど──台本をおぼえずに出場するなんてありえません。100%台本をおぼえて、コンマの間をこだわって、それで生きるか死ぬかという世界なわけです。

では、M1と、マジシャンの大会はなにが違うのだろう?
なぜ、台本をおぼえないまま出場する人がいるのだろう?

それは「賞金がないから」だと思いました。

人間は、目の前に美味しいものがぶらさがっていればなんだってします。いわれなくても努力します。細部にも病的なこだわりをみせるでしょう。

それが、お金にならないのでは、やっぱり目先のバイトや、学力テストや、気になる子とのデートを優先させてしまうというものです。これは当たり前の話です。

ゆえに「競争原理」が働いていないのです。

もちろん現在もなにも手に入らないわけではありません。入賞すると、より上位の大会に進めます。マジックの世界で名前を売ることができます。しかしM1のように現金にはなりません。あくる日から人生が様変わりするようなこともおこらない──と誰もが知ってしまっている───わけです。

現在の形では、賞金がない以上、あくまで「マジックが好きだから」という純粋な思いを起爆剤にするくらいしかありません。マジック好きな学生たちが、ほとんどの出場枠をしめて、その道で生きるプロマジシャンたちが出場しないのがなによりの証拠でしょう。生きるモチベーションにはならないからです。

その「マジックが好きだから」というモチベーションは現実的な旨味がありません。だから、つい他の誘惑に負けてしまうというわけです。

そんな報酬目当てのやつなんかいらん、真のマジシャンのみ参られよ、という意見もあるでしょう。しかし、それでは一部の人間しか近よることができないものになります。得られるものがあるなら努力できるという人間本来の在り方に反しているからです。

以上より、僕は「賞金を出せばいいのに」と思いました。

もしマジックのレベルを上げたいと考える人がいるのなら──残念ながら僕はそうではありませんが──シンプルに賞金を用意するだけで、おもしろいことがおこるのではという感じです。少なくとも、もっと第一線のマジシャンたちも本気でコンテストに突撃してくることでしょう。競争原理バンザイ。

これがコンテストにおぼえた違和感の正体かなと思いました。「なぜ、もっと練習しなかったんだ?」と若手を問い詰めることはできます。けれど、そういう気分になれないのも当たり前の話かなというわけです。というより、その気持はすごくわかる。僕は攻めることができない。

目の前のニンジン。嬉しいくらいの賞金。人生が変わるという確信。これが少なくとも技術論を指摘する以上に、後輩マジシャンたちのスキルアップをうながす方法になるかもしれません。そもそものモチベーション改革というわけです。

もちろんコンテスト側に賞金を用意したくてもできない事情もあるかと思います。ただでさえ主催側は負担を強いられているというのですから。ならば、そもそもの設計をみなおすことも大事かもしれません。逆にいえばマネタイズさえすれば解決するわけです。その話は長くなるので置いておきますが。

ちなみに、僕のバーから出場した子は入賞にいたりませんでした。

「くやしいです」と、大会後、彼からLINEがありました。

がんばれよ。まわりと努力のレベルをあわせる必要はないぜ。

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