港町の喫茶店で潮風のように一瞬だけ感じたこと。

「めちゃくちゃレトロな町を散策したいんだけど」

車好きの友人にたずねると、淡路島のある町を教えてくれた。

一年半前の夏の日、その港町におりたった。

車のドアをあけると、ぬるい潮の匂いがした。ほとんど民家で、宿泊施設や食事場所は数えるくらいだった。ホテルは、入室早々、空調がガタゴトと音を立てて作動しなくなったので、制服に汗じみのついた受付の女性を説得して部屋を変えてもらった。それでも、なにも考えずに町をふらふらするのは楽しかった。

その町、唯一の〝繁華街〟はさびれた商店街だった。

観光客にあわせて作ったカフェや土産物屋。郵便局。地元民が野菜や魚を買うための商店。何年も前にテレビに取材されたことを誇らしげにかかげる和菓子屋。一軒だけ違和感を放つコンビニ。そして、いくつか小道をまがったところに古びた喫茶店があった。

店に入ると、薄暗かった。窓の外の夏の光がそう感じさせた。

内装は西洋風だった。壁や椅子や机は木製で、アールヌーヴォー調に植物模様をほってあった。珈琲が貴重だったころに、海外に対する憧れをこめてデザインしたという感じだった。

店の奥から、背中の曲がった、70歳をとうに過ぎたような女性がやってきた。

店の一切をのそのそと彼女がこなしているようだった。僕は珈琲を頼んだ。彼女と同世代ほどの男性客は──たった1人の先客は──あくびをして新聞紙をたたむと、テーブルに小銭をおいて出ていった。

僕は珈琲を飲んだ。壁の彫りものをながめた。一面に木をあてがって、なにか西洋の神話をなぞらえるように、鎧を着た勇者や女神のふるまいを彫りこんでいた。その顔立ちは西洋人にもみえるし、日本人のようにもみえた。少なくとも作者は日本人だと思った。

珈琲が運ばれてきた。僕は砂糖とミルクを入れた。くすんだガラス製の照明をみあげながら飲んだ。そのとき直感があった。

ああ、この古びた場所も若いときがあったのだ、という事実だった。

店員の女性は、この町いちばんの美女だったかもしれない。彼女には夫がいたのかもしれない。二人で店を営んで、この内装や、この珈琲が、この町の流行の最先端だった時代もあったかもしれない。そんなイメージが湧きおこった。

僕は会計をすませた。外に出てふりかえると、あいかわらず古めかしい佇まいだった。もうこの店にくることはないだろうなと思った。