先日、リチャード・ターナーのレクチャーにいってきました。
なにかと衝撃だったので、おもいつくまま文章にします。
「一つ秘密を教えよう」とガードナーが言った。「ちょっとした演奏のこつだ。プロからプロへの秘密伝授というところだが、実際は単純なことだ。それはな、聴衆のことを何か知っておけ、ということだ。何でもいい。今日の客は昨夜の客とどう違うか——自分の心で納得できることなら何でもいい。たとえば、ミルウォーキーにいるとする。自分に問いかけるんだ。何が違う。ミルウォーキーの客と昨夜のマディソンの客の違いは何だ。何も思いつかない? だったら考えろ。思いつくまで考えろ。ミルウォーキー、ミルウォーキー……。ミルウォーキーはいい豚肉を産することで名高い。うん、これでいい。舞台にでたら、それを使え。客には何も言う必要はない。ただ、歌うときに、それを心にとどめておくことが重要なんだ。目の前にすわる客は、うまい豚肉を食っている人々だ。豚肉に関しては一家言ある……。わしの言うことがわかるかな。そう思うことで、聴衆への手触りが生まれる。面と向かって歌ってやれる誰かになる、それがわしの秘密だ。プロからプロへ、これを伝授しよう」
「夜想曲集」カズオ・イシグロ
「芸術には、その崇高なる簡素をのこしておかなければならぬ。
衣装の豪奢や、舞台装置の華美は、装飾として、動きの偉大さと、登場人物の真実以外を必要としない演劇を殺してしまうものである」
「小さなピエール」アナトール・フランス
パフォーマーは己の演技を客観的にみなければなりません。
一から十まで分析して、ケチつけて、よりよいものをつくるのです。
けれど、それがむずかしい。
自分を客観視するなど——日常生活でも——まず不可能です。
そのために、公式を活用するのです。
いわばパフォーマンスを分析するためのガイドラインです。
そのなかのひとつに、
NLP(Neuro-Linguistic Programming)の理論があります。
といっても、これがなかなかくせ者で、うのみにするのは考えものです。
そのさじ加減をふまえつつ、書いてみます。 続きを読む
マジックが〝しゃべくり芸〟だというのは、ひとつの真実です。
ひとまえにでるからには、やはり、しゃべりができてナンボなのです。
もちろん、しゃべりのないマジックはあります。
サイレントアクトや、視覚的なマジックもあるでしょう。
けれど僕は——すくなくとも僕のスタイルは——会話をとても重要視します。
クロースアップならなおさらでしょう。
観客がそこにいるからには、つい交流したくなるのです。
あくまで好みの問題だとおもってください。
そんなとき、まず気にするのは〝テンポ〟です。
マジシャンとしておおざっぱに——日常会話でも——ふたつのテンポがあります。
パフォーマンスをつくるとは、観客の目線を考えるということです。
マジックでは、表と裏の作業がはげしくことなりますから。
余計にそうする必要があります。
しかしそれがむずかしい。
我々は、自分のみかたで、ものごとをとらえてしまいがちだからです。
どれだけ気をつけても、マジシャンなりの〝ステレオタイプ〟は、顔をだします。
観客のためにならない、演者の固定観念。
そんなものは、いちはやくダストシュートにダンクシュートすべきです。
そのためには演目——トリック——の本質をみきわめなばなりません。 続きを読む