
「父に言われたんですけど、わたしには全然ユーモアのセンスがないんですって。
ユーモアのセンスがないから人生に太刀打ちできないって、父は言うんです」
「エズミに捧ぐ」J・D・サリンジャー
いいパフォーマンスほど「笑い」にあふれます。
ある種「ウケているかどうか」の指針になります。
「笑い」は、コミュニケーションの潤滑油のようなもので。
人前でなにかするからには、これについて考える必要があるでしょう。
ひとは楽しいときに笑いますから、
逆にとらえると「笑わせるとたのしく感じてもらえる」ともいえるからです。
ただ、なんでもかんでもボケればいいわけではありません。
危険な落とし穴もあります。
笑いを、おおきくわけると「笑わせるもの」と「笑われるもの」になります。
パフォーマーとして、後者はあってはなりません。
アクシデントで、コインをおとしたり、台詞を間違えたりもあるでしょう。
そんなときでも「笑われる」のでなく、自分から「笑わせる」べきだとおもうのです。
うがったいいかたをすれば、そもそも、観客は「マジシャンの失敗をねがっている」ものです。
いつでも、あざ笑う準備をしています。
なぜなら、目の前でカッコつけられると、腹がたつからです……とくに若造なんかに。
それを解消するのが「笑い」です。
が、「笑われて」むこうに主導権をにぎらせる形で、解決してはいけません。
あくまで「笑わせる」ことで、こちらが状況をコントロールします。
というと、独裁政治みたいになりますが。
あたりまえのことを書いているだけです。
「笑わせる」にも、種類があります。
これを、ギャグとユーモアのふたつで考えます。
①ギャグ
ギャグとは「瞬間の技術」です。
おもしろい言葉であったり、変顔、すべらない話、ふしぎなポーズでもいいでしょう。
爆発力があり、瞬時に観客につたわります。
②ユーモア
ユーモアとは「人生に対する態度」です。
人格からあふれる、あたたかみのようなものです。
ささいなひとことで、客席に笑みがもれます。
どちらか、ひとつしかえらべないわけではありません、
笑いには種類がある、というだけのことです。
おなじ台詞を、ちがう人物がいえば、
ギャグにもなれば、ユーモアにもなることでしょう。
ここから私見になりますが。
マジシャンは、ユーモアで勝負をすべきだおもいます。
なぜなら、我々は、お笑い芸人ではないからです。
「ほかの分野を侵害すべきではない」からではありません。
「マジシャンはお笑い芸人ほどおもしろくなれない」からです。
というと「マジックバー〇の、△さんはおもしろいよ?」と、いわれそうです。
とりあえず、最後までかきますね。
理由はふたつです。
「我々の目標はマジックをみせることであり、笑いよりも優先することがあるから」
「マジックで得られた笑いは、本物の笑いではないから」
前者があるかぎり「笑い」を第一にする芸人には勝てません。
理屈からいえばそうではありませか。
そして後者、これがくせものです。
これについて書きたかったのです。
マジックで得た笑いは「ずるい」のです。
お笑い芸人さんに、顔むけできないほどずるい。
というのも、マジックをみた観客は、混乱状態にあり、
そもそも「異常に笑いやすい状態になっている」からです。
ひとはどうしようもないと、笑うしかありません。
マジックをみたことなんて、そうはないから、感情のやり場がわからない。
おぼれるもののわらのように、笑いの感情にとびつくしかないのです。
マジシャンが「笑うことを提案している」のですから。
「催眠状態のようなもの」といえば、わかりやすいかもしれません。
トランス状態では「主導権をもつもの」の指令がとおります。
この場合、マジシャンの「わたしは笑わせようとしている、笑え」という暗示ですね。
観客は「笑っている」のでなく「笑えという指令にしたがっている」わけです。
以上より「マジシャンはその笑いの半分も、実力で得たものでない」と、自戒しております。
なんだかフェアじゃない気がするのです。
マジシャンが漫才大会にあらわれないのも、そういことかもしれません。
あくまで「マジックをするから、笑いがおきている」のだと。
これは、ギャグをつかうなということではありません。
うぬぼれちゃいけないんだ、という話です。
すくなくとも、それに甘えるようでは、パフォーマーとして成長しない。
いつまでも「自分はウケている」という勘違いをすることになります。
「いや、それだってマジックによる本当の笑いだ」という意見もあるでしょう。
それも正しいとおもいます。
結局のところ、
パフォーマーは「それぞれ正しいと信じること」によって、表現していかねばならんのですね。
めんどくさいことです。
ここで、ユーモアを推薦します。
というより、考えをまとめてみます。
ユーモアとは「人生に対する態度」だといいました。
言葉や技術でなく、あくまでパーソナリティの問題です。
高級な人格にふれたとき、ひとは自然に笑うものです。
笑いより「微笑み」に近いかもしれません。
ギャグも、たんなるギャグでなくなります。
ユーモアにねざした言葉は、すべて言葉以上のものになります。
それこそ、マジシャンのもとめる笑いではないでしょうか。
大爆笑をとらずとも、客席から笑みのこぼれるような。
笑いの技術では、お笑い芸人に勝てません。
我々はあくまで、すぐれたるパーソナリティでもって、勝負すべきです。
これもそのうち書きたいことですが。
マジシャンは技術でなく、人格をみせる職業だとおもいます。
マジシャンは「魔法使いの役を演じる」ものです(そうもいえなくなってきましたが)。
そして本物の魔法使いなら、技術などなしに、ふしぎなことをしてみせるのでしょう。
だからあまり「みせつける」べきでないのです。
技術にほこりをもつのでなく、技術をかくすことにほこりをもつべきです。
極論、マジシャンは、努力していないふりをしなくてはなりません。
努力をさとられては、魔法使いでなくなるからです。
そうした余裕、美学からくる、ユーモアはいかがでしょう。
それこそ、マジシャンにしかだせない「笑い」というものです。
ユーモアとは「その人格の強さ」です。
マジシャンが人格をみせるものならば、ユーモアは必要であります。
なんにせよ、人格をきたえて損はありません(損することはありますけれど)。
そんな感じのことをいいたかったのでした。