マジシャンが笑いをとるとは

 

_SAC7092

 

 

 

 

 

 

 

 

「父に言われたんですけど、わたしには全然ユーモアのセンスがないんですって。
ユーモアのセンスがないから人生に太刀打ちできないって、父は言うんです」

「エズミに捧ぐ」J・D・サリンジャー

 

パフォーマンスにおける笑いとは

 

いいパフォーマンスほど「笑い」にあふれます。
ある種「ウケているかどうか」の指針になります。

「笑い」は、コミュニケーションの潤滑油のようなもので。
人前でなにかするからには、これについて考える必要があるでしょう。

ひとは楽しいときに笑いますから、
逆にとらえると「笑わせるとたのしく感じてもらえる」ともいえるからです。

ただ、なんでもかんでもボケればいいわけではありません。
危険な落とし穴もあります。

 

「笑わせる」のか「笑われる」のか、それが問題だ

 

笑いを、おおきくわけると「笑わせるもの」と「笑われるもの」になります。
パフォーマーとして、後者はあってはなりません。

アクシデントで、コインをおとしたり、台詞を間違えたりもあるでしょう。
そんなときでも「笑われる」のでなく、自分から「笑わせる」べきだとおもうのです。

うがったいいかたをすれば、そもそも、観客は「マジシャンの失敗をねがっている」ものです。
いつでも、あざ笑う準備をしています。
なぜなら、目の前でカッコつけられると、腹がたつからです……とくに若造なんかに。

それを解消するのが「笑い」です。
が、「笑われて」むこうに主導権をにぎらせる形で、解決してはいけません。
あくまで「笑わせる」ことで、こちらが状況をコントロールします。

というと、独裁政治みたいになりますが。
あたりまえのことを書いているだけです。

 

ギャグとユーモア

 

「笑わせる」にも、種類があります。
これを、ギャグとユーモアのふたつで考えます。

①ギャグ
ギャグとは「瞬間の技術」です。
おもしろい言葉であったり、変顔、すべらない話、ふしぎなポーズでもいいでしょう。
爆発力があり、瞬時に観客につたわります。

②ユーモア
ユーモアとは「人生に対する態度」です。
人格からあふれる、あたたかみのようなものです。
ささいなひとことで、客席に笑みがもれます。

どちらか、ひとつしかえらべないわけではありません、
笑いには種類がある、というだけのことです。

おなじ台詞を、ちがう人物がいえば、
ギャグにもなれば、ユーモアにもなることでしょう。

ここから私見になりますが。
マジシャンは、ユーモアで勝負をすべきだおもいます。
なぜなら、我々は、お笑い芸人ではないからです。

「ほかの分野を侵害すべきではない」からではありません。
「マジシャンはお笑い芸人ほどおもしろくなれない」からです。

というと「マジックバー〇の、△さんはおもしろいよ?」と、いわれそうです。
とりあえず、最後までかきますね。

理由はふたつです。
「我々の目標はマジックをみせることであり、笑いよりも優先することがあるから」
「マジックで得られた笑いは、本物の笑いではないから」

前者があるかぎり「笑い」を第一にする芸人には勝てません。
理屈からいえばそうではありませか。

そして後者、これがくせものです。
これについて書きたかったのです。

 

マジシャン、ギャグにあまえるなかれ

 

マジックで得た笑いは「ずるい」のです。
お笑い芸人さんに、顔むけできないほどずるい。

というのも、マジックをみた観客は、混乱状態にあり、
そもそも「異常に笑いやすい状態になっている」からです。

ひとはどうしようもないと、笑うしかありません。
マジックをみたことなんて、そうはないから、感情のやり場がわからない。

おぼれるもののわらのように、笑いの感情にとびつくしかないのです。
マジシャンが「笑うことを提案している」のですから。

「催眠状態のようなもの」といえば、わかりやすいかもしれません。
トランス状態では「主導権をもつもの」の指令がとおります。

この場合、マジシャンの「わたしは笑わせようとしている、笑え」という暗示ですね。
観客は「笑っている」のでなく「笑えという指令にしたがっている」わけです。

以上より「マジシャンはその笑いの半分も、実力で得たものでない」と、自戒しております。
なんだかフェアじゃない気がするのです。

マジシャンが漫才大会にあらわれないのも、そういことかもしれません。
あくまで「マジックをするから、笑いがおきている」のだと。

これは、ギャグをつかうなということではありません。
うぬぼれちゃいけないんだ、という話です。

すくなくとも、それに甘えるようでは、パフォーマーとして成長しない。
いつまでも「自分はウケている」という勘違いをすることになります。

「いや、それだってマジックによる本当の笑いだ」という意見もあるでしょう。
それも正しいとおもいます。

結局のところ、
パフォーマーは「それぞれ正しいと信じること」によって、表現していかねばならんのですね。
めんどくさいことです。

 

ユーモアとは

 

ここで、ユーモアを推薦します。
というより、考えをまとめてみます。

ユーモアとは「人生に対する態度」だといいました。
言葉や技術でなく、あくまでパーソナリティの問題です。

高級な人格にふれたとき、ひとは自然に笑うものです。
笑いより「微笑み」に近いかもしれません。

ギャグも、たんなるギャグでなくなります。
ユーモアにねざした言葉は、すべて言葉以上のものになります。

それこそ、マジシャンのもとめる笑いではないでしょうか。
大爆笑をとらずとも、客席から笑みのこぼれるような。

笑いの技術では、お笑い芸人に勝てません。
我々はあくまで、すぐれたるパーソナリティでもって、勝負すべきです。

これもそのうち書きたいことですが。
マジシャンは技術でなく、人格をみせる職業だとおもいます。

マジシャンは「魔法使いの役を演じる」ものです(そうもいえなくなってきましたが)。
そして本物の魔法使いなら、技術などなしに、ふしぎなことをしてみせるのでしょう。

だからあまり「みせつける」べきでないのです。
技術にほこりをもつのでなく、技術をかくすことにほこりをもつべきです。

極論、マジシャンは、努力していないふりをしなくてはなりません。
努力をさとられては、魔法使いでなくなるからです。

そうした余裕、美学からくる、ユーモアはいかがでしょう。
それこそ、マジシャンにしかだせない「笑い」というものです。

ユーモアとは「その人格の強さ」です。
マジシャンが人格をみせるものならば、ユーモアは必要であります。

なんにせよ、人格をきたえて損はありません(損することはありますけれど)。
そんな感じのことをいいたかったのでした。