マジシャンは「嘘をつく」仕事です。
どんな言葉でつくろっても、その真実はかわらないでしょう。
社会は嘘でまわっているのも事実です。
どんな職業にも「嘘」はあるでしょう。
けれど積極的に、嘘を利用するのは、マジシャンくらいのものです。
嘘がなければマジックではない、とすらいえます。
我々は「嘘をつく」ことをやめるわけにいきません。
だからといって、なんでも嘘をついていいわけではありません。
そのさじかげんには、いつも慎重になります。
どうも危険な気がしてならないのです。
たとえばショウのおわり、拍手喝采をうけたとしても。
それは「嘘をついた」成果です。
「ぼくすごいんだよ」と、嘘をついて。
「ああほんとだ」と、観客の信じた結果です。
正当な評価ではないのです。
正当に評価できないことをするのが、マジシャンの仕事ですから。
マジシャンとして生きるとは、そんな「嘘の賞賛」を、当然の顔してうけとることです。
「だましのプロ」「魔法使い」「心理学の天才」なんて、にせの称号をうけとることです。
だれもが「すばらしいですね」というのに対して、笑顔でそのふりをして。
ひとりだけ「ほんとはつまらないタネなんだけどな」と、口をつぐむのです。
嘘は、嘘のままだからこそ価値があり、嘘つきは、だまるからこそ意味があるのです。
なかなか、さみしい商売じゃございませんか。
マジックの本質は「すごくみせる」技術です。
みせかけの技なのです。
そのようにみせるだけであり、本質は、まったく、なにもすぐれているわけでない。
マジシャンは「すごいふりをする」だけで「すごい」わけではありません。
ここが、肝心なのです。
よろしいでしょうか。
なにも「嘘」は、他人にむけるものだけではありません。
自分を、あざむくこともできるのです。
まわりが「すごいすごい」ともちあげるから。
きれいに「おれはすごいんだ」と、かんちがいすることもできるのですね。
けれどそれは「嘘の賞賛」です。
あなた自身にむけられたものでない。
ここを見失うと、エレガントでなくなります。
裸の王様になります。
それも、少年が「あんたは裸だ!」と、おしえてくれることもありません。
観客もまた「本当にすごいとおもっている」からです。
ならいいじゃないか、という考えもあるでしょう。
マジシャンはうぬぼれて、観客もそれを賞賛して……なにがわるいと。
たしかに、そうかもしれません。
それに対して、理屈をならべることもできますが、単純に、僕はいやなのです。
なんかカッコわるいじゃないですか。
それにたぶん、そんなことをしていると、着実に、芸の方向はずれていきます。
我々は、舞台をおりればただの凡人……あたりまえのことでしょう。
酒屋が酒によってはいけません。
嘘屋も、嘘におぼれるようではいけません。
むしろだれより冷静に、
なにが「嘘」で、なにが「嘘」でないのか、熟知していなければならないのです。
たとえ舞台でおおぼらをふきながらも。
嘘に謙虚であること、嘘をつくおそれをしること。
それのないマジシャンには、なんらの真実も語れないことでしょう。
嘘がなければ生きられないが、真実がなければ生きている意味もない。
マジシャンが、自分をだましてどうします。
胃がきりきりして、罪悪感にへどはいたっていいじゃありませんか。
舞台だけでも、すてきなふりをできるんだから。