コピーライター講座で学んだたったひとつのこと|幻の〝青春18きっぷ〟のコピーについて

 

夏の日だった。二十代前半だった。

ただ若さをすり減らすよりマシだとコピーライター講座に申しこんだことがある。半年で十五万円くらい。もらった会報には白髪やシミの浮かんだ肌で「我々は一時代を築きました」みたいな顔ぶれがあった――だれもわからなかった。

親の世代なら恍惚の顔をするのかもしれないなと思った。

数十年前には、こうすれば最先端になれますよと〝お洒落なライフスタイル〟を提案してくれるものこそ、よろこばれる時代があったらしいから。

街や電車や、ふと気づけば手もとの電子画面のなかですら、なにかを買わせようとしてくる広告のおどる現代では――よくわからないけど月額300円払えとか――たちまち首をかきむしって広告アレルギーをひきおこすだけだ。

初回の講師は六十すぎくらいの男だった。

時間ちょうどに扉をあけて、すぐに細い声で神経質なのがわかった。毎食後にかさかさ小袋をふって、胃薬を飲むようなタイプだ。

まずは自己紹介だといって、うっとりした顔で、社名から、かつて担当した商品や企業、はては広告の受賞歴なんかをあげた。華麗なる経歴らしかった。しかし、これも、正直ぴんとこなかった。大昔の知らない車や洗剤の名前をあげられても反応のしようがない。

「僕はスパルタで有名ですからね」と、その男は眼鏡を光らせた。

そして、あらかじめ集めた〝青春18きっぷのコピーを書きなさい〟の課題講評をはじめるなり、華やかなりし時代の血がよみがえったのか口調がけわしくなった。

なにを伝えたいのかわからない。文字がきたない。ちゃんと調べたのか。こんなもの通用しない。顧客をなめてるのか――かくして心に訴えかけるコピーライティングを学べるというふれこみを信じて入会した若者たちは、九十分間、じっと椅子にかけて罵詈雑言をあびせられることになった。

その途中、教室をふりかえると――熱心にノートをとる姿もあったけれど――ほとんどは口をあけて、こいつはなにをいってるんだろうという顔をしていた。

最後、僕は配られたアンケート用紙に「自動車の教習所にいって車の運転ができないと怒られた気分でした」と書いた。

しかし、その講評の途中「これはいいかもしれないね」と、彼が、ほうと息をとめたコピーがひとつだけあった。これは提案できるかもしれないな、と、一人でうんうんうなずいていた。

青春18きっぷ。もちろん全国のJR線が一日乗り放題になる切符のコピーである。僕は、それを聞いたとき耳もとに風のかけぬけるのを感じた。

「どこまでいけるか試してみない?」

教室の事務的な椅子にかけて、僕は、その言葉を忘れまいとノートに書きつけた。けれど、忘れられないことはすでにわかっていた。

案の定、その後の人生で、このフレーズをことあるごとに思いだすことになった。たとえば己の人生がくだらないものに思えてしかたない夜であったり、なにか挑戦をあきらめかけたときであったり、人生に思いもよらない方角からの風が吹いたときであったり。この言葉はいつも、やさしく前に進むことを誘ってくれた。

十五万円で得たのは、この言葉と、いくつかの点で自分にはコピーライターの才能が致命的に欠けているという発見だけだった。このコピーを考えた彼はいま、どこでなにをしているのだろう?