青年は地獄を生きる③「卑屈に逃げるな。君はそこから脱獄できるはずだ。」

ある時期、卑屈に取り憑かれていました。

あらゆる健全なものにケチをつけていました。あれは偽善だ、これはオシャレぶってる、なにが楽しいんだ、みんな阿呆じゃないか──という感じに。

いまならばわかります。その心は、完全に「あちら側」に対する嫉妬でした。僕の「こちら側」は苦しいのに、なんで、みんな楽しそうなんだよ、と。世になじめない自分にコンプレックスを感じていたのですね。

しかし、当時、そんなこと気づきもしませんでした。あるいは気づかないふりをしていました。若さゆえに認めることができなかったのです。己がちっぽけな存在であることを。

自分を否定できない以上、世界を否定するしかなかったのです。そうでないと心のバランスをとれなかった。そうしないではいられなかった。

そして〝卑屈〟という精神は鈍色の癌のように心の底に住みつきます。

世界は、あなたの観察の仕方に応じて姿を変えます。愛に満ちた人間にとって、世界が愛に満ちたものになるように。つまりケチをつけながら世のなかをみると、いくらでも世の中はグロテスクに映ります。実際、そう考えるのは簡単です。そこそこ汚いものはあふれてますから。

青年はこう考えます。「自分はなんて酷い世界で生きてるんだ」と。

それは「この世は生きる価値がない」という考えにたどりつきます。

その先は無気力な生活が待っています。朝おきて、自堕落な部屋のなかで、輝いてみえるものに嫉妬をぶつけるだけ。夢もない。希望もない。そして、ときには、お気に入りの玩具をもてあそぶように死すら考えたりします。

世界に生きる価値はないのだから。自分の命すらどうなろうが構わない、というわけです。

それだけならまだしも他人の命すら──という恐ろしい結末もあるのかもしれません。幸いにも、僕はそちらの扉を開けませんでたけれども。理屈はわかります。

さて、ここで断っておきたいことがあります。

僕には、そうした君の世界や状態や感情を否定するつもりはないということです。一切。この段階で、それだけは伝えておこうと思います。

君の考え方は間違っている。世界は美しい。気の病だから目をさませ、と、朝の七時半に布団をひっぺがすこともしません。朝日を浴びればセロトニンが分泌されるんだよ、なんてアドバイスもしません。その程度で変わるなら、君は、そもそも青い地獄に落ちていないでしょう。

もう一度言います。

僕は、君の、その全てを否定しない。

なぜなら、それは、いまの君にとって真実だから。

そして、いつか、君が、誰の言葉も借りずに、自力で生還してなくてはならないから。

だから、ここでは、いくつか僕が感じたことを言葉にするだけです。どうか説教やアドバイスだと思わないでください。僕は、僕のかつての真実を書く。それだけです。僕にとっての救いや光が君にとってもそうだとは思っていない。君の真実があるように、僕の真実がある。それはどこか遠い地点で共鳴することもあるかもしれない──というだけのことです。

さて「この世は生きる価値がない」の青い地獄にもどりましょう。

これを考えるとき、僕が、いまになって思うのは「この世は生きる価値がない」という呪いの言葉は「この世にとって自分は価値がない」という意味だったのだろう、ということです。錆びたコインの裏表のように。

もっといえば、後者をカッコよく言い換えていただけなのかな、という感じです。

自分には成すべき偉大な仕事や、世の問題点をみぬく洞察力や、それを変革する才能があるはずなのに──はずなのに──はずなのに──それを成しとげる力を持ち合わせていないという感覚。

あえて言い切りましょう。おそらく青い地獄の正体は「無力感」です。

世を観察する力がわずかにあったとしても〝無力〟だから、どうすることもできないから、わけもなく悲しかったのです。負け犬の遠吠えしかできなかったのです。卑屈に陥ったのです。

しかし、考えてみれば、それも当たり前の話でした。

なぜなら、なにもしていなかったから。

あるいは「それっぽいことをして力尽きたふりをしていた」だけだったから。

自分が〝無力〟なのは当然だったのです。それまでは、なぜか、なにもしなくても世の主人公でいられる気がしていたのですね。努力もせずに。気づいたらヒーローになれているのではと。その幻想を打ち砕かれたわけです。

それは、こう言葉にできるでしょう。

なにもしていない人間が何者かになれるわけがない。何者かになりたければ何かをしなくてはならない。

こうして書いてしまえば当たり前のことに思えます。たった45文字で説明をつけられます。しかし、僕は阿呆だから気づくのに若い年月を捨てることになりました。

そして残酷なことに、その事実に気づいたからといって救いはありません。

だって、あいかわらず自分は無力なのですから。

そこからが本当の地獄だったのです。

いわば自分が牢屋にいることに気づいた囚人みたいなものです。まだ気づかない方がましだったかもしれません。自分は悪くないと、世界に、卑屈な唾を吐いていた方が幸せだったかもしれません。

しかし気づいたからには足掻くしかなかった。

それが大仕事になることはわかっていました。おそらく若さの大部分をドブのなかに捨てるような作業になるだろうことも。その果てに大事なものを失うことも。そして最後に報われるかどうかすら保証されていないことも。なにも得られないかもしれないことも。

僕は背後に真っ黒な太陽が昇っているのを感じました。

そして次に手もとを確認しました。リングにぶらさげた何千本もの鍵束と──どれが正解かもわからない──小枝のように細いやすりだけは与えられているようでした。

そのとき頭に浮かんだのは、脱獄、の二文字でした。

青年は地獄を生きる①「人生の運転席には君がすわらないといけない」
青年は地獄を生きる②「その程度でバッドエンドのつもりか。君のストーリーは途中だろ。」
青年は地獄を生きる③「卑屈に逃げるな。君はそこから脱獄できるはずだ。」