マジックが〝しゃべくり芸〟だというのは、ひとつの真実です。
ひとまえにでるからには、やはり、しゃべりができてナンボなのです。
もちろん、しゃべりのないマジックはあります。
サイレントアクトや、視覚的なマジックもあるでしょう。
けれど僕は——すくなくとも僕のスタイルは——会話をとても重要視します。
クロースアップならなおさらでしょう。
観客がそこにいるからには、つい交流したくなるのです。
あくまで好みの問題だとおもってください。
そんなとき、まず気にするのは〝テンポ〟です。
マジシャンとしておおざっぱに——日常会話でも——ふたつのテンポがあります。
すごく普通ですけれど。
はやいテンポと、ゆっくりしたテンポです。
基本的に、このふたつの柱を基準にしています。
ここから、さらに調整して、テンポを上げ下げするわけです。
アップのときは、たぶん想像されているより早口です。
スローのときは、たぶん想像されているくらいです。
場にあわせてというより、自然とそうなる、というイメージです。
気づいたら、どちらかのテンポを採用しているのです。
なぜでしょう。
目的と効果がちがうからです。
こちらでは、まくしたてるようにしゃべりつづけます。
マシンガントークということかもしれません。
早口に、たえまなく口をうごかします。
なぜ、そんなことをするのか。
これの目的は——少々はしたない言葉ですが——空間の制圧です。
場を支配する必要があるときにおこないます。
もっというなら、アウェイな場。
おちついた舞台でなく、まず観客の関心をひくことからはじめなくてはならないときです。
具体的には、ストリート、商業施設でのマジック、テーブルホップなどでしょう。
こうした場では、そもそも観客は、マジックをみたいわけでありません。
観客が〝みてもみなくてもいい〟ときには、イニシアチブをとりながら演技せねばなりません。
そんな場合のことです。
スピードスタイルには、たえまなく場をコントロールする、という目的があります。
すると観客は——催眠用語でいえば——軽度の混乱状態になり〝あつかいやすく〟なります。
場の注目をひっぱりながら、演技をすすめていけます。
これはもちろん、いくつか攻撃的な単語もでましたが、喧嘩ごしになることでありません。
早口とは、下品な言葉をならべることでもありません。
あくまで洗練されたものを、テンポよくはなつ、というだけの話です。
こちらでは、ゆったりしゃべります。
間をおいて、ときに沈黙して——みなさんが想像するようなマジックショウです。
説明不要でしょう。
しっかりできあがった場でつかいます。
より〝ふかみ〟〝あじわい〟をだすためのものです。
贅沢な演技ともいえるかもしれません。
だらだらしゃべる、のとはちがいます。
スローとはいえ、計算された、ここちいいテンポであるべきだとおもいます。
観客の興味がすでにむいている、からこその話であります。
ここからが本題です。
ふたつのテンポといっても、ただ速度をかえるのでありません。
あわせて、言葉の質をかえねばならんのです。
ピッチングにたとえてみましょう。
スピードスタイルは、速球です。
ぽんぽんぽんぽん、あいての胸もとに直球をなげこむようなものです。
ある種の、思考停止状態にもちこむのです。
そして、場の主導権をひっぱりつづける「押し押し」のテンポです。
スロースタイルは、チェンジアップです。
スローボールをゆっくりなげて、あいての心の予想をはずしていくのです
だからこそ〝理解されやすい球〟をほうるのは危険です。
ひとつひとつの〝ブレ〟が、必要です。
そうして、あいての心をひきつける「引き引き」のテンポです。
くわしくいきましょう。
スピードスタイルでは——いいきるなら——わかりやすさが大事です。
直球だから成立するのです。
あいての〝耳〟にうったえるイメージ。
あまりひねった文句をいれないほうがいいのです。
そして一球ごとにブレをくわえていけば、混乱を強められる、ともおぼえておくべきでしょう。
知的な場では、そうしたトリッキーな話術がもてはやされることがあります。
スロースタイルでは、一球ごとのブレが大事です。
たくみに〝どうはずしていくか〟の勝負になります。
あいての〝認識〟にうったえるイメージ。
おおげさにいうなら、シェイクスピアのように練られた台詞がいるということです。
でないと「単調でつまんない」になります。
マジック自体予想外でうけるんだからいいじゃない、という意見もあります。
それもたしかですが、会話の部分だけでも、いいものをつくりたいじゃないですか。
最後に注意喚起を。
おそらく、このテンポについての話を、あなたがそのままとりいれるのは危険です。
いつもの僕のくだらない文章より、今回は、とくにそんな気がします。
あくまで、これは僕が演技していくなかでほりおこした、パターンであり、リズムです。
真にすべきは、己のテンポをつかむことであり、他人のまねは、みじめな結果しかうみません。
僕が、僕なりのテンポについて考えただけ、というふうにおうけとりくださいませ。
理想をいえば、あらゆる〝自分らしい球〟をみつけて。
状況にあわせて、一球、一球、なげられるようにすべきなのでしょう。
もちろん、勝利でなく、観客の拍手のために。